2016年11月3日木曜日

不思議なジュエリーデザイナー、インドラさんの個展「インドラ・マン・スヌワール展」

先日、インドラ・マン・スヌワール(Indra Man Sunuwar)さんという不思議な人にお会いした。

今年の夏、表参道にあるセレクトショップ「水金地火木土天冥海」(愛称、水金)で、とある願掛けの意味合いもあってブラックダイヤモンドのリングを購入した。採掘してカットしただけというナチュラルダイヤモンドはティアドロップ型をしていてゴールドのリングに横向きに配されている。天然ゆえの不純物がかえって唯一無二の陰影を生み出していて、すっかりその景色に吸い込まれてしまったのだった。スタッフの方が、「それはインドラさんというジュエリーデザイナーの方が制作したのです」と教えてくださった。

ブラックダイヤモンドはその時の私の頼りない精神を力強く励ましてくれ、今も、初めての人と会う時やちょっと頑張りたい時には意図的に身につけるようにしている。私の「相棒」みたいなリング。だから、親しいフリーランスPRの女性から「インドラさんを紹介したいの」と声をかけてもらった時、正直色々な締め切りがあって引きこもりムードだったのだけれど、即座に「参ります!」と返事した。インドラさんに相棒リングに出会えた御礼を伝えたかったのと、ご本人に石の話を伺ってみたかったからだ。


水金のフロア奥のジュエリーコーナーで、インドラさんはいつも水金のブログで拝見するのと同じように小さめのストローハットを頭に載せ、テーブルいっぱいに広げたケースの上で飛び跳ねるように輝く石たちに守られるようにして座っていらした。日本とのご縁も深く、ネイティブのように日本語をお話しになることは存じ上げていたので、私はすぐに人差し指の相棒をお見せして御礼を申し上げた。インドラさんは嬉しそうに笑ってくださった。

そう。本当は、石の話をたくさん伺おうと思っていたのだ。ジュエリーといえば、ハイエンドでエレガントなファッションや敷居の高い世界ばかり思い浮かべてしまうのだけれど、その本質は鉱石である。私は、科学博物館に行けば鉱石コーナーでしばらく過ごすのがお決まりなくらい、地球が何万年もかけてつくりだす鉱石や化石が好きだ。ファッションというよりは、サイエンスや考古学の世界としての石。インドラさんがつくりだすジュエリーは、確かにジュエリーには違いないのだけれど、なにかその言葉のイメージにはまらりきらない、なんというか、「永遠の男の子が追いかけ続けているロマン」みたいな雰囲気があるような気がしてならない。代名詞の1つである「スターローズクォーツ」などインドラ作品のファンの方々ももしかしたら、ほかのブランドのジュエリーとは違うエッセンスを見出して水金に通われているのかもしれない。

話はそれたが、結局石の話はあまり伺わなかった。買い付けはネパールのみならず、世界中の色々な石の市場に赴くのだという。「“波動のいい”石を探します。値段の安い高いは関係なくて、いいなと思ったら連れて帰ります」。イタリアの宝石商から譲ってもらったという、赤くて透明な、グミの実のように美味しそうな石(ごめんなさい、名前は聞きそびれました)は、「柔らかすぎるから加工できず、売り物にならない。でも自分のコレクションにしたいと思って購入しました」。それから、ネパール特産の深い海のような色のサファイヤや水晶の中では最も透明度が高く希少なヒマラヤ水晶などいくつかの珍しい石を紹介していただいた。しかし、私ときたら突如その流れを遮るように「ところでインドラさんはなぜ、ジュエリーの仕事をはじめられたんですか」と不躾にも質問してしまい、同時にカバンからノートと鉛筆を取り出してさっと構えた。私の好奇心のアンテナはまず、石よりもインドラさんご本人に向けて鋭く反応してしまったのだった。もうこうなったら職業病で軽く戦闘態勢である。石はインドラさんにとってただのビジネスではないんですね!?


水金でもたびたび紹介されているから、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。インドラ・マン・スヌワール氏は、古くからネパールの古都パタンで代々受け継がれる金銀細工を手がけるものづくりの家系スヌワール家の血を引く末裔だ。初めて銀の指輪を制作したのは7歳の時。祖父の仕事を見よう見まねで、年に1度の祭事のために売られる魔除けの指輪づくりを手伝った。1つ2円か3円程度の土産物のようなものだが、祭りの日には大勢の人がやってきてその指輪を買い、ご利益に授かるのが習わしだ。インドラ少年は、自分が一生懸命つくったものが気持ち良いように売れていく様子が嬉しくてたまらなかったという。

その後、彼は学校へ行き、おそらくその間はジュエリーのことは考えもしなかったかもしれない。16歳の時に写真家になると決めてネパールを出た。写真を撮りながら世界各地を旅し、やがて日本にたどり着く。その頃出会ったこの国の友人たちは今でも付き合いがあるし、世界中にいる友人のうちでも日本の友人の数が一番多いそうだ。しかもご自身の会社は札幌にある(弟さんが切り盛りしておられる)。今回は聞きそびれたのだけれど、インドラさんにとって日本とはどういう国なのだろう。切っても切り離せないインドラさんと日本の関係について、いつかまた機会があればお尋ねしてみたいと思っている。

写真家を志す青年は、日本の写真賞に応募して、いくつかの賞を見事に受賞した。その時の写真を見せていただくと、ネパールをはじめとする山間地域や田園地域のなかで素朴に暮らす人々や子どもたちの自然な表情や佇まいがただただ美しい。私などが結論するにはまだ尚早で何も知らなさすぎるが、もしかしたらインドラさんのなかでは、写真を撮ることも、ジュエリーをつくるということも、さほど大きな違いはないのかもしれない、ということを思った。インドラさんが旅をして、“波動”を感じたものを切り取って、私たちの前に見せる、伝えるという活動。そのアウトプットが、写真という表現か、あるいはジュエリーという表現か、という違いでしかないのでは。そしてインドラさんの目と心が受信するその“波動”とは、地球や生命といった、悠久の時間とともに流れてかたちづくられていくようなもの・・・。こんな風に書いてしまうと、なんだかスピリチュアルな世界に少々寄りすぎてしまうだろうか。

とにかく事実は、写真を撮りながら、一方で現実的な生活の糧としてジュエリーの制作と販売をはじめられた、ということだ。やがて後者がメインの生業となっていくわけだが、それはインドラさんの血統を考えれば当然というか、宿命的な流れといえるだろう。


「ところで9月にネパールにホテルを建てたんです」とインドラさん。最近、ネパールの都市部では旧い建築をリノベーションした「ヘリテージホテル」が増えてきており、ヨーロッパなどから観光客が集まってきているそうだ。インドラさんのホテル「ZYU」は、地元の伝統的な装飾技術をもつ職人たちに声をかけ、地域のものづくりの粋が凝縮されたような空間になっているという。経済の落ち込みと、外資の安価な材料を求めるあまり、伝統の技術が失われてゆく状況はネパールも日本も同じだ。インドラさんは母国の状況に危機感をもたれており、「技術を残して伝える」ための1つの表現としてホテルというかたちにチャレンジされているのだ。

さらに「近所の山も買ったんです」とさらっと仰るので、思わず聞き返してしまった。「や、山ですか」。「そう。将来そこにエコビレッジをつくりたいんです。自然エネルギーを活用した自給自足の村をね。僕が撮った写真のような田園や子どもたちのこれからのことをみんなで考えていきたいんです」。ス、スケールが大き過ぎますね、インドラさん。「それから牛を買いましてね。イタリアから職人を呼んできて美味しいモッツァレラチーズを・・・」。モ、モウ、十分でございます!!


さて、話を石に戻そう。インドラさんは実は、有数のビーズコレクターでもある。「まるくて穴があいているものはすべてビーズ。日本のトンボ玉もそうだし、世界中のビーズを“かなり”集めています」。インドラさんが“かなり”と仰る時は“破天荒な量と質”という意味だろう。「例えばこれ」と足元に置いてあったプラスチックケースから、ビニールに入った縞模様の細長いビーズを取り出して、私の手のひらに載せてくださった。なんだかほんのりと温かいのは気のせいだろうか。「これはキング・オブ・ビーズと呼ばれるジービーズで、日本では天珠(てんじゅ)といいます。インダス文明に(インドやパキスタンあたりで)つくられたものがチベットへと渡り、そこでお守りや家宝、大仏の首飾りなどに使われていた高貴なもの。瑪瑙(めのう)を特殊な染料で染めて魔除けなどの文様を描いてあります。コレクターもたくさんいるからネットで調べてね」。はい。現代でも製造する技術はあってたくさんつくられているが、「古代天珠」と呼ばれる紀元前につくられたものは特に希少価値が高く、世界のセレブリティたちがこぞって求めるのだという。インドラさんもご自分の「お守り」を見せてくださった。濃いめのコーヒーにクリームを落として幾何学模様を描いたような・・・こんなチープな喩えしかできずまことに恐縮だが、これで1粒数百万という世界なのだからあれこれ言わずひれ伏すほかあるまい。しかしインダス文明を数百万で買えると思えば、高くはないのかもしれない(セレブにとっては)。

ほかにも、古代ローマでつくられていたとんぼ玉の一種である「人面玉」(平な円形のガラスビーズに人の顔が描かれている)や、古代フェニキアでつくられていた「人頭玉」、古代エジプトのヒエログリフが刻印されたビーズなど、もはや考古学レベルとしか言いようのないお宝を惜しげもなく見せてくださった。実際、考古学の研究者と一緒になって古代ビーズの研究も進んでいるのだとか。「もう少しで集めているビーズのコレクションがコンプリートするから、その暁には博物館に収蔵してもらい、本を出そうと思っています」。はあ。とんでもないスケールの話を、屈託のない笑顔で軽妙に語ってくださるインドラさんが、とうとうインディ・ジョーンズのように見えてくるのだった。

というわけで、インドラさんの個展をご紹介。石も、古代ビーズも、インドラさんも、“本物”に会えます。

インドラ・マン・スヌワール展
2016年11月3日(木)~20日(日)

「美しい物を追い求めて東奔西走するインドラさんが世界中から集めて来たのは、
実に希少で趣のあるプレシャスストーンやアンティーク。
ずらりと並んだインドラ・コレクションから、お好きな石を使ってリングやペンダントのお仕立てもいたします」

インドラ・マン・スヌワールさん在店予定
11月2日(木)~6日(日)、11日(金)~13日(日)、18日~20日(日)
14:00~19:00



いくら時間があっても足りない。夢中になって話を伺っていたら、いつの間にかおいとましなければいけない時間が迫っており、最後に何度も御礼を申し上げて失礼した。水金の皆さんに見送られながら店を背にし、足早に表参道の雑踏に紛れ込む。インダス文明やら古代ローマやら、まるでおとぎ話のような時空を超えた世界から、慌ただしく現実に引き戻され、私の意識も日日の仕事の方へと向かわなければならないことがひじょうに惜しまれる。興奮で握りしめていたのか、ほかほかと温かくなっている手の人差し指に「相棒」の存在を確認する。大丈夫。私の身体には、インドラさんが紹介してくださったあの悠久の時間がしっかりと寄り添っている。どんなことだってやり遂げられそうな気がする。するとタイミングよく、目の前の信号が青に変わった。さあ、行こう。いつもより目線を高めにして、私は横断歩道を渡った。(終)